平和な社会の実現とお金
お金のない世界が理想というような表現をよく見かけるようになった。
だが、お金は単なる価値の交換手段である。
お金がなくなったりしても、本質的にはなんら意味がない。
お金で得たい先に、生産物や価値を認める物に有限性があることが問題である。
また言い換えれば、価値の集中こそが問題である。
前澤さんの言うように、確かに望むもの全てが手に入るようになれば理想だが、
現実にはある服を生み出すための資源は有限だし、
あるマンションと同一のものは1つしかない。
類似のものも限られている。
そのような理想を実現するのはお金がない社会ではなく、
シンギュラリティ後で話されるような生産物が無限な社会である。
そして、そのような社会において人間の「仕事」というものはおそらくない。
カウンターカルチャーとしては存在できるが、神に等しいAIがもし生まれたとすれば、
その前に人間が仕事をする意味などあるのだろうか。
ポスト・シンギュラリティ後の社会は宗教社会が夢見たような、
絶大な神の前に同一、の状況である。
しかしながら、通常の人間が求めるのはあくまで人間的・地上的なリソースである。
それこそVR社会に生きることも自由自在に行わせたり、
選択の余地がないことを全く自然に信じ主体的な選択のように思わせ最適配置をするシビュラシステムのようなものが出来上がっていれば、
最適分配なるものも可能になるのだろうが、
もはや神の領域さえ超えた神業と言わざるを得ない。
神だってそんなことは今のところできていないのだから。
もしもそんなことが起これば、
今発生していることなど振り返れば中世の錬金術以上に馬鹿げた試みだし、
もしそんなことが起こらなかったとしたらおよそどんなに技術が進化したとしても、
精神的な意味では平和になんかならないし、
人間社会はほとんど同じように進むだろう。
一番現実的なシナリオとしては、
資産の蓄積と人口の減少による相乗効果で、
1人あたりの不労所得が生活可能な水準にまで上がり、
かつ機械による生産効率の上昇による必要労働人口が減少することで、
働くことが限りなく趣味に近づくこと。
それによって無意味な強制が減り、
人の精神を害する組織の力が弱くなること。
いわば世界中がセミリタイア者による世界になること。
これにはベーシックインカムに近いような、資産の再分配が必要になるが、
今のところそれを可能にするための進化として資産の集中が必要とされている。
よって、現実的なのは、
相続税を超高率にした上で、少額ずつでも生まれた瞬間から「出生手当」みたいな形でグローバルに次世代に再分配していくことである。
おそらくこの効率化の過渡期では富裕国では少子化が進むので、世界全体で人口はあるラインくらいに落ち着くようになり、
そうすれば、100年、200年と長い目で見れば、比較的まともなスピードで次世代への再分配が行われ、300年後に生まれる世代では生まれた時点から働く必要のない収入と、それを可能にする半自動化社会が出来上がり、従ってこれ以上の人為的成長は不必要になり、
それに従い現在のような超格差社会が是正されていく。(と期待したい。もはやそこに特定の人が大量に権力を保有する大義名分や合理性はない)
そんな社会は可能だろう。
でも、小集団における人間は変わるとは思えない。
画一的かつ本質的な価値などなくとも、それを勝手にこしらえてくるのが人間だ。
小集団における適応は、今後社会のどのような変化が起きるとしても、
重要な技術であると予想できる。
小集団における適応とは何か?
次にそれを考える。