くじら12番の投資日記

投資とかお金とか世の中とか。

哲学まとめ

まとめ本を読んで気になった考えをまとめておく。

なお解釈だらけなので正確ではない。

 

ハイデガー存在と時間

全ての知性が感情という基盤から生じる。

本来の自己とは、世間一般の幻想からできるだけ自由になり、主体的な主人となることのできるもの。

 

サルトル存在と無

全ての出来事は自分の選択であり、もともと規定された条件で決められるものであってはならない。

また、そのように考えるからこそパートナーシップでは相手の「自由」が保証されていると感じた上で所有できるという状態でなければ面白くない。

 

ラッセル:幸福論

自分を忘れるほど何かに没頭することが幸福のキーである。

 

スピノザ:エチカ

宇宙や神は原因である。特にその現象に目的はなく単なる法則にすぎない。

 

エピクロス

偶然や運よりも思慮を大切にせよ。

余計な幻想から解放され不必要に心を乱されなくなることが幸福。

 

ウィリアム・ジェームズ:プラグマティズム

信念や観念は現実的に有用ならば価値があり、有用でないならばどれだけ崇高に見えても不必要だ。

信仰が「幸福」に寄与する場合のみ効果あり。そうでないなら信仰もべつにいらない。

 

タレブ:ブラック・スワン

人間は法則やルールを求めすぎる傾向にある。実際にはブラックスワンのように、

いとも簡単にルールは覆されることがたくさんあり、得てしてそのような例外こそが大きな変革をもたらすので、予測可能と考えることは意味がない。

不確実性を受け入れて生きるべし。

 

ニーチェ善悪の彼岸

道徳は不自然に人を抑圧するものにすぎない、誰かにとって都合のいい価値観の押し付けでしかない。なのであまり気にしなくてよい。むしろ自らの道徳を作り上げることができるような人物を目指す挑戦こそが人間を偉大さへと向かわせる。

 

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相互に影響を与え合っているから当たり前ではあるが、

かなり似たトピックを似た考え方で見ていることが多いのがわかる。

個々人の感性に基づいた総合的生態系を見ることが一番真実に近づくと思われるので、どれを正解と捉えることはしない。

どれも個々人の見解としては一時的に正しいのであり、自分自身の見解として適合するわけではない。たぶん著者ですら書いた直後にはその理論の修正を迫られているだろう。

 

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全ての思考の最初の土台はプラグマティズムに基づくのがいいだろう。

不要な議論や不要な探求に悩まされることがない。

プラグマティズムの基準となる何が幸福か、の基準には熟慮を要する。

しかし、ブラックスワン現象を考慮するに現代において言語レベルで人生の間くらい使えるスパンの基準を定義することは不可能に近く、

言えるレベルとしては「何が起こるかは実際はわからないのだから、無限の可能性を信じて自分を忘れるくらい没頭しよう」ということくらいな気がする。

ニーチェの言うように道徳は奴隷根性の成せる反乱にすぎないことが多いから、

道徳そのものが変わる可能性が高い時代においてはほぼ無視でOKと思われる。

最大多数の最大幸福といっても結局人々に内在する支配欲や野心・資質の違いなどがあり平等などありえないので、変に同情意識を持って「地上に下る」ような行為は不必要。

少なくとも自分の仕事ではなく、「地上に下げたい」「地上に下げようとすることがほぼ唯一の解」である人に任せておけばいい。※排斥はしないこと。それも生態系としては必要なことである。道徳は生態系的に必要なもの。だが個人としては結構無視しても構わない。

 

「何が起こるかは実際はわからないのだから、無限の可能性を信じて自分を忘れるくらい没頭しよう」「既存の道徳なんて勝手に調整してくれるから気にすんな」「法則とかあってないようなものだから大丈夫」

を実践するメリットは多数。

 

メリット

 

・まずなんでも没頭してるので悩んで不幸になることがない

・罪悪感などに悩まされることもない

・法則なんて後付けだと考えることで、本気で「何が起こるかわからない」と信じる土台になる

・何が起こるかわからないので、将来を悲観したりマイルドな絶望に陥ることはない。割とどんなこともワクワクできる

 

デメリット

・実際には「ブラックスワン」は希少な例外にすぎないので、宝くじに当たる!と信じるのと似たようなもの。この理解がある限り信じることができないので、脆弱。

 

うん、あとは確率論の心理的な攻略だな。

「宝くじは仮に当たらなかったとしても、当たるように努力を続けて買い続ける姿勢こそがアリストテレスの考えた現代版エウダイモニア的人生」

とでもいうように、ポリシーとしての信念をpragmaticに持つことだろうか。

 

ただもっぱら、資本主義社会に密接に結びついた超短期的時代においては、

人々をその節制的理想から引き離すことこそが商機なのだが。

プラグマティズムの言うように、極端な話「長期的には実体的に有害な思想でさえも、信仰者が信仰を捨てないという事実さえあれば一気にとても有益な思想になりうる」ということが、今のなんでもできる教には含まれているわけで。

 

うーん。

やはり自分には「数学的法則をまるごと無視しちゃう系」の観念を取り入れるのは合わんな。

 

「何が起こるかは実際はわからないのだから、無限の可能性を信じて自分を忘れるくらい没頭しよう」

「既存の道徳なんて勝手に調整してくれるから気にすんな」

「法則は基本当てはまるけど、まれにめちゃめちゃな例外があるしその例外こそが価値が大きいので、歴史や数学法則に「必ず」収斂するなどとは思わず、特に短期の時間軸で考える場合はむしろ「法則に逆らうことも多い」と考えておく」

 

こんなもんかな。

これらを総合的に人生の行動指針とするならば、

 

行動の多く(7〜8割)は、歴史の淘汰を経た原理原則に従っておくことで積み重ねておくが、2割ほどは原理原則や確率論を「信じない」ことでブラックスワン現象の恩恵に期待することで世界の発展と自身の精神のバランスを保つ行動を行う

 

というのが、今後20年くらいは使えそうだな。

そしてこれは大変バランスがいい。

 

法則を基本的には信じていることで、学習を積み重ねる動機になるし、

法則を例外的には信じないことで、行動を実践する動機になる。

 

これでいこう!