くじら12番の投資日記

投資とかお金とか世の中とか。

エッセンシャリズム・ミニマリズムの有害さと対処法

思想としてのミニマリズムは有害だと思う。

「少ないほどいい」の考え方を突き詰めるととんでもない矛盾が発生する。

それは物が売れなくなるから資本主義社会にとって有害、ということ話ではなく、

人間の根本性質に対して有害だ。

 

物にこだわりすぎないというだけなら、ミニマリズムの提唱する考えは無駄遣いを減らし有意義に時間とお金というリソースを使おう、ということにすぎず、

実用的なアイデアだろう。

要するに効率的な投資をしましょうね、という話で、かなり合理的だ。

 

だが、「あらゆるもののうち本質的なものだけを選び抜いて大切にしましょう」「本質的でないものは不要だから避けましょう」という段階になってくると話が違う。

 

ぐちゃぐちゃになっている段階(もっとも、こういう状態の人が多いから人気になっているのだろうが)には有効だが、

ミニマリズムの生活を少しずつ実践してきて、かなり整理された段階がきてしまうと恐ろしいことが起こる。永遠の無風状態だ。

 

週に1日も父親が顔を見せられない家庭には父親が帰る時間が必要だろう。

それは「本質的」「一番大事なこと」を大事にするということだろう。

だがもし、週に6日は常時家庭にいることができるとしたら?週7日にすることが本当に大事なものを大事にすることに繋がるのだろうか?

週7日いることがすでに可能なら、その間全てのエネルギーを「無駄度合いの低いもの」に向ける必要があるのか?

 

毎日執事のように子供の期待に答えるべく待機している親は、

子供にとってありがたいものなのだろうか?

仮に子供がそれを期待しているとして、無限に「自分が」答えなければならない必要性はあるのか?(子供はある程度の範囲で遊び相手が欲しい、というだけの側面もある。もちろん親との関わりは大事だが、一定範囲が友達やシッターさんではダメなのか?)

 

挙げていけばキリがないが、

こういう重要なものにできるだけリソースを集中しろ論はカルトになる。

そして人間の頭脳はカルトが大好きだ。

人間の肉体と精神はカルトが大嫌いだが。

 

ーー

 

対処法は、あくまでミニマリズム・エッセンシャリズムは混乱した状態にのみ使える対処療法の薬だ、と思っておくことだ。

自分の身の回りの環境の混乱度合いを見極めて、混乱度合いが60点以上のときはミニマリズム、60点以下になったらマキシマリズムを使う、というように、自分の行動指針となる考え方をスイッチするのがいい。

 

広げて無駄なものを増やすタイミングがない限り自分の世界はどんどん狭まっていくし、過剰な集中によってその大切なものさえ圧迫して壊してしまうかもしれない。

 

大きすぎる額を調達すると結果ROEが下がったりそもそもプロジェクトを失敗させやすい(=資本価値が破壊されている)みたいな話もそうだが、物事には適量がある。

 

思想や価値観には有効な適用シーンがあるが、それはかなり限定的だ。

そして説得力を持たせるために、たいていはその思想自体でその思想の有効な適用範囲、有効でない適用範囲が明示されている場合は少ない。

あたかも「全てに効く魔法の考え」のように宣伝される場合のほうが多数だ。

だからその処方を間違わないために、次のステージへのステップアップを阻害しないために、期間限定・範囲限定の魔法として活用していくのがいいだろう。

 

自分はいったんミニマリズムの期間は終わりだ。

物は少なくていいけれど、行動の種類まで少ない期間は終わり。

 

新しい世界を見たい。