過去改変は可能②そして、インデックスファンドという信仰
過去改変による未来改変は可能である。
ただし、自己の意識的なアプローチによる改変では無意識にアプローチすることはできないため、
原理的にもし無意識領域からの強固な改変をする場合は、
第三者の介入が必要だ。
これこそマインドコントロールによる人格改変の本質である。
だがこれは第三者が行う以上、相当な技術を持ちかつ善意の第三者でない限りは、
ただの都合のいい奴隷になるだけだ。
自分によって改変する場合、一般的な対応策としての行動から変えることによって過去および現在の概念に対する認知的不協和を引き起こし、
それによって無意識領域にアプローチする方法が一番マシであろう。
ただし、このアプローチは選択的に特定の現象のみを再現することはほぼ不可能で、
現実世界の中で上昇と下降の両方を経験することになるので、
上昇経験(カタルシス経験)が皆無な人には有効だが、
両方がある人には単に両極を強化することにすぎないと思われる。
つまり、現実は不幸でも幸福ではなく、
不幸と紙一重の条件つき幸福であると。
過去を改変しない場合は、
過去の現象を並べそこから導き出される人生態度を検討するというのが理性的なアプローチである。
そこから導き出される人生態度が、
現在および未来の生存に役に立つのであれば、
あえて過去を変える必要はない。
というのは、
幼児期のルール
青年期のルール
社会人のルール
老年期のルール
・・・
と、時期によって明らかに生存にかかる適切な振る舞いが変わるから、
青年期に適切だったルールが社会人になって適切とは限らない。
にも関わらず、青年期のカタルシスに縛られることがあるとすれば、
それこそ非合理な選択である。
なぜ人はカタルシスを必要とし、それにしがみつくのか。
それは通常人々の置かれている状況やその思い込みが、非常に不安定であることを知っているからだ。そうでなければ攻撃される狭い世界に常に生きているからだ。
過去の人生経験に影響されるとは言うものの、
いずれ気づく絶望という観点からすれば、
人間の性質からして小さな集団における隣人は潜在的敵であり、特定の条件を満たしている場合のみ味方である、致死率20%の集団である。
一方で、複数の集団をとった場合、確率の概念とほぼ同じくして、100通りの集団において全ての集団で死ぬ確率は0.2^100=限りなくゼロに近い。
だから複数のネットワークの選択肢が与えられれば、小集団での生存可能性が怪しい人こそ、それを本能的に選びたくなる。
ただし、社会というものが徐々にその思考プロセスを統一していくと、それぞれの集団の個別性が失われていく。
そうして社会全体なる大集団が形成され、そこでの生存を獲得するために社会の条件を目指すようになるが、そこまで極端に大きな社会において共通の交換価値はかなり限られることになる。
そしてそのうねりの中で、大集団の論理に根ざさない小集団は淘汰されていっている。村社会のように。
そこで、大きな社会における共通の尺度、
お金および、お金と交換可能な資産(友人、スキル、美、フォロワー等...) への信仰が強化されていく。お金を媒介しなくても、物質への交換価値があるものは同じだ。
ーー
生まれた時に何もできない幼児期の経験からして、
不安と安心のサイクルは生きることそのものである。
不安を提供する環境には、必ずカタルシスが用意されている。
というよりは精神の働きがそれを求める。
広範囲の安心は、社会が大きくなった以上、社会そのものの所有者であることによってのみ生まれる。以前はこれが神の役割であった。
小範囲の安心は、属する小集団によって得られるように思えるが、先に述べたように小集団そのものの信頼性は低い。だからこれは安心とは呼べない。
人間の本性は超大集団かつ超長期で見た場合にのみそれなりの信頼に値する。
大きなものへの信仰が、人間の精神を保護する理由はここにある。
だからグローバルインデックスファンドは、実践的な現代社会に対する信仰といってもいいだろう。
生殺与奪の件を持つのはもはや神ではなく経済活動を主体としたそこそこの良心を持った人間社会である。
神が権限を持たないのと同様に、親でも先生でも友人でもない。
大人が信仰すべきは「経済活動を主体とした人間社会がじきに自然とよくなっていく未来」である。
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ここまでのプロセスで気づいたかもしれない。
大きなものへの信仰、安心があれば、
精神の領域においては小さな集団における不安は非常に小さいということを。
話を過去改変に戻す。
過去改変は可能だ。
小集団での生き方を選択するのであれば、大胆な過去改変こそが生き方に劇的な変化をもたらす。人格改変だ。
しかし自分が生きてさえいるのであれば、大集団を考えれば過去改変など不要だ。
大集団の働きが結果自分を生かしてきたのだから。
小集団のことなど歯牙にかけず、大集団にのみ精神的に所属すればいい。
そうすれば過去を一切変えることなく、安心が得られるだろう。
自分に適した所属場所を、それが孤独という所属場所だったとしても、大集団が適切な場所を与えたのだ。
これこそが、不安のレベルを落とし幸福の感覚を強化する処方箋である。
その上で、現実に生きる小集団の影響をゼロにはできない。
その対処法は次に検討する。