くじら12番の投資日記

投資とかお金とか世の中とか。

そもそも、なぜお金/都会が自分に必要なのか

結局のところ、自分にとって過剰なお金はただの「プライドの現れ」でしかないことに気づいた。

 

だって、

これ以上の過剰なお金は、

食欲が強くないのに、

無理やり1日5食食べようとしたり、

もっと食欲を強くしなければ、

と言っているようなものだ。

 

それが人生を充実させるコツで、

成功者と呼ばれる人は1日5食食べている、

と例えば刺激されたら、

そうしなければならないというような気になってくる。

 

でも、

そもそも存在しない欲を無理に拡大することなど、

不毛でしかない。

 

人間皆欲深く、あれもこれももっとと欲しがるものだ、

という前提条件は、

本当なのだろうか?

 

明らかに不足が多かった時代はそうかもしれないが、

これだけ過剰に溢れた時代に生きていたら、

そんな人はごく少数のような気もするのだが。

 

よりよい、

は求めているかもしれないが、

「より多く」

は残念ながら求めていないらしい。

 

いいものを少し、

で構わない。

 

でもそんな贅沢はなかなかできない。

だいいち、

この都会の細切れ時間感覚で生きているのが普通になった時代で、

「いいもの」のみを時間をかけて消化するような生き方は、

特別な意思がなければやはり非常に難しい。

 

ーーー

 

プライドの他に、

もう1つ重要な要素があった。

それは「身を守ること」。

あの大変な経験から、

お金の入り口を自分のために確保しておかなければ、

悪意の他人からいいようにされる危険があることを学んだんだ。

 

だから、

お金は安全係数。

 

お金は安全係数であり、プライドの現れであり、復讐をかねた存在証明。

そして自由と欲望の象徴である。

 

だが、ある程度のラインを超えてしまえば、

またその収入源を「誰か」に依存しなければ、

安全係数はかなり高まる。

そして、自由もこれ以上ないくらいになるし、

欲望も欲望がよほど強い人でなければ簡単に満たされてしまう。

 

今は復讐対象のことはほとんど考えないし、

残るのはプライドだけ。

 

でも、もはや欲望もなくなってる以上プライドの意味さえない。

そもそも、プライド自体なくなりつつある。

 

ーーー

 

お金じゃモチベーション湧かないから、

仕事、だったらいいのかと思ってバイトとか検索してしまったよ。

悲しい気持ちにしかならなかった。

バイトは、いつだって観察者。

 

そういう場所にいるのが、

いやなのに。

 

やる気が出ない人には、

そういう場所しか残っていないんだ。

当たり前だけれども。

 

消費という社会装置になんか信用おけなくなってきた。

生きてはいけるが、

相対的に劣悪なものしか提供しない。

 

そんなものが、いいはずがない。

 

これぞ逆転の砦と思っていたものが、

そんな価値も持たなくなってしまっているのだとしたら、

そりゃ意味も無くなるよ。

 

お金そのものじゃ、

一番いいものは買えないんだから。

 

お金なんかどうでもいい。

 

お金がめちゃめちゃあって、

いいことなんてあったか?

 

おそらくほとんどない。

 

衣食住、それを必要な程度に満たせばそれだけでよかったんだ。

 

余計なことやりすぎた。

これからは、お金以外のことを目指して進んでみよう。

「お金の余裕が増えたら」は禁句だ。

お金じゃ、大事なものは何一つ買えない。

 

生活基盤以上は、買えるのはまやかしの物ばかりだ。