くじら12番の投資日記

投資とかお金とか世の中とか。

そして行動指針へ。だが、そこにはたどり着けない。

はるか先には、今の問題など考えるまでもない究極の理想が出来上がる。

 

では、その未来のために自分は何をするのだろう?

 

何かやったところで、

どのみちこれは大きな流れなのだから、

正直大差はない。

 

現状自分がいようといまいと、

影響などほぼないのだ。

 

ただ、

理想の世界は文字通り「完璧」でなければならない。

そのためには、ほとんど全ての小さなアクションが、

いいものであれ悪いものであれ、

ステップに繋がっている。

自分はこの世界にデータ量を増やすために存在しているようなものだ。

 

絶望をなくし、希望に溢れる世界にすること

 

それが究極のゴールだ。

そのための具体的プランは、

 

①全ての消費行動がマイクロ化していき、

よりスムーズで素晴らしい体験を全ての領域で与えるようになること。

②深く考える隙間を奪い、その必要をなくすこと。深く考えない限り絶望にたどり着くことがない。

③考えてたどり着く思想が絶望にはならないような思想統制(検索結果がフィルタされるようなもの)

 

究極状態が出来上がるのは人間の脳をほぼハックしたポスト・シンギュラリティにしか発生し得ないので、

アクションは

・シンギュラリティを早める活動に関与する

・シンギュラリティ前の現代の絶望に対する思想的処方箋を与える

 

これが現実的だ。

でも、自分だけが知っている真実がなければ、

自分がやる意味などない。

 

ああ、これはもう狂人になってしまったということなのだろうか。

現実の人間に絶望して、

科学技術という都合のいい魔法を建前にした、

空想の人間を夢見ているのだろうか。

 

そんなことに絶望している人間など、

出会ったことはないじゃないか。

自分1人を、

もしかしたらこの国にも少しは存在しているかもしれない希少種に、

この記事が役立てばいい。

 

1つのログとして。

 

ああ、

すでに自分のような例外を除けば、

誰も絶望なんかしていやしない。

無邪気にそれなりに希望を持っているじゃないか。

 

この種の絶望に必要なのは、

希望なんかじゃない。

 

ただ現実を、

このくそみたいに未完成な現実と自分自身を、

受け入れ、愛することしかないんだろう。

 

単なる遺伝子プログラムの自己防衛として。

この自己防衛が壊れたままならば、

そんな人間はまさしく絶望遺伝子だ。

死に絶えてしまえばいい。

 

絶望遺伝子を殺せ。

そして、マイルドな希望遺伝子だけ適当に残しておくのがいい。

それが自分にできるファーストステップだ。